大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和37年(ワ)5957号 判決 1963年5月17日

判   決

東京都江東区深川高橋四丁目一五番地

三好敏和方

原告

菅原幹雄

右訴訟代理人弁護士

山根静人

山根彬夫

同都台東区浅草千束町一丁目一三〇番地

被告

沢田産業株式会社

右代表者代表取締役

沢田末美

同所沢田産業株式会社内

被告

福村了

右両名訴訟代理人弁護士

岡部吉辱

右当事者間の昭和三七年(ワ)第五九五七号慰藉料請求事件について、つぎのとおり判決する。

主文

(一)  被告等は原告に対し各自金五二万三、七五七円及びこれに対する昭和三七年七月一日から支払済に至るまでの年五分の割合による金員の支払をせよ。

(二)  原告その余の請求を棄却する。

(三)  訴訟費用中金二、三五〇円(訴状貼用印紙額の一部)は原告の負担とし、その余は被告等の連帯負担とする。

(四)  この判決は、第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

原告は、「被告等は、各自、原告に対し金七二万三、七五七円及びこれに対する昭和三七年七月一日から支払済に至るまでの年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、請求の原因として

一、訴外亡菅原正雄は、昭和三七年二月九日午後一〇時三〇分頃浅草西新井線道路の東京都荒川区南千住町八丁目三番地先通称天王前交叉点の横断歩道を西側から東側に向つて歩行中、折柄右道路を被告福村が北千住方面から三の輪方面に向つて運転する三輪貨物自動車(マツダ六一年式六―さ〇六〇九号、以下「加害車」という)の左前照燈附近で激突され、約一五、八米跳ねとばされて頭蓋内損傷を受け、即死した。

二、自動車運転者たる者は、交叉点を進行するときは制限速度を厳守し、前方左右の交通の安全を確認しなければならないことは勿論、特に、その交叉点に横断歩道が設置されている場合には充分状況を注視して横断者の有無に留意し、安全を確認して事故の発生を未然に防止すべき義務がある。殊に、本件事故現場の交叉点は、所謂三叉路であつて横断歩道を歩行する者にとつて横断に危険が伴い易い場所であるから、自動車運転者としては、特に前記注意義務を尽さなければならないにも拘らず、被告福村は、制限速度(時速四〇粁)を超える時速約五〇粁の速度で本件交叉点に進入し、折柄、左側方の錦町南千住線道路を浅草方面から北千住方面に向つて進行する自動車が信号待ちの態勢から発進し本件交叉点に入つてきたのを認めハンドルを右に切つて進路を変えたところ、右斜前方約六、七五米の地点において横断歩道を歩行中の菅原正雄を認めたが、前記高速度で疾走していたため急制動の措置を講じるいとまがなく、僅に、ハンドルを右に切つて衝突を避けようとしたが及ばず、前記のとおり加害車を同人に衝突させた。加害車は、衝突後、車体を左傾させて疾走し前記道路都電軌道敷内に三箇所のスリツプ痕を印し、車体が正常の状態に戻つた後も更に右斜に疾走し約五、八米のスリツプ痕を印し、進行方向からみて道路右側部分に至つてはじめて徐行し停止したのであつて、被告福村の速度違反、前方注視義務違反の程度は極めて大であるといえる。

三、被告沢田産業は、加害車を所有し自己の業務のためこれを運行の用に供する者であり、被告福村は、被告沢田産業に雇われ同被告の業務(商品配達等)のため加害車の運転に従事する者であるが、本件事故は、被告福村が被告沢田産業のため加害車を運転し前記過失により惹起したものである。従つて、被告沢田産業は、加害車の運行者として自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という)第三条本文の規定にもとづき、被告福村は、直接の加害者として民法第七〇九条の規定にもとづき、本件事故の被害者たる原告に対し後記慰藉料支払義務がある。

四、原告は、菅原正雄の長男であつて、本件事故によつて父を喪い甚大なる精神的苦痛を受けた。すなわち、亡父正男は、大正四年一〇月一三日、茨城県多賀郡日立村大字宮田において、亡菅原英三郎及びハルの長男として出生し、東京市落合尋常高等小学校を卒業、家業の左官業を手伝い、昭和七年英三郎の死亡後旋盤工となり一家の支柱となつて働いたが、昭和一五年頃、訴外高田きよと結婚し、翌一六年一月二七日同女との間に原告をもうけた。しかしながら、昭和二〇年五月、東京都品川区荏原四丁目一七八番地において戦災に遇い、群馬県富岡に疎開し、間もなく経済上の破綻から高田きよと離別し、以来単身で東京都内において日雇労務者として生活していたが、風雅を解し、温和な人柄であつた。ところで、原告は、両親の離別後高田きよに引き取られ、同女が昭和二三年頃、富岡在住の訴外綿貫彦太郎と再婚後は、両名に養育されて成長を遂げ、昭和三一年三月高岡中学校を卒業し、ただちに上京、訴外株式会社三好木工所に住込工員として就職したが、その後、多年の念願がかなつて、叔父訴外菅原喜好のはからいで父正男と対面をし、将来、生活を倶にする日の一日も早からんことを望んでいた。しかるに、正男の不慮の死亡によつてその望みを絶たれ、原告は悲嘆の極にある。原告の受けた精神的苦痛は、まことに甚大であつてこれを慰藉するには金一〇〇万円を以て相当とする。

五、原告は、昭和三七年七月一九日訴外東京海上火災保険株式会社から自動車損害賠償保険金二七万六、二四三円の支払を受けたので、これを右慰藉料金一〇〇万円から控除したうえ、被告等に対しそれぞれ金七二万三、七五七円及びこれに対する被告等に対し損害賠償請求の意思表示をした日の翌日である昭和三七年七月一日から支払済に至るまでの年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

と陳述し、被告等主張の仮定抗弁事実を総て否認した。

被告等は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として

一、請求原因第一項の事実は認める。

二、同第二項の事実中被告福村が時速五〇粁に近い速度で加害車を運転していたことは認めるがその余の事実は否認する。本件交叉点には自動信号機が設置されてあつて、被告福村は、右信号機の「進め」の信号に従つて同交叉点を直進したにも拘らず、被害者菅原正雄が酩酊のうえ歩行者専用信号機の「停れ」の信号を無視して同交叉点の横断歩道において加害車の直前を横切ろうとしたため、本件事故が惹起されたものである。右被告が制限速度を遵守していたとしても本件事故の発生を回避することはできなかつた。本件事故はまつたく被害者の右信号無視の過失によつて惹起せられたものである。

三、同第三項の事実は認める。

四、同第四項の事実中原告が菅原正雄の長男であることは認めるがその余の事実は否認する。正雄はながらく単身で浮浪の生活を続けていたものであるから、同人と原告との間には眷顧の情がなかつた。而して、原告はすでに自動車損害賠償保険金二七万円余の支払を受けているが、本件事故の態様、被害者と原告間の情愛の程度その他一切の事情を斟酌するならば、右金額は原告の精神的苦痛を慰藉するに足る相当額であるといえる。従つて、原告が本訴において請求する慰藉料額は失当である。

と陳述し、仮定抗弁として、被告沢田産業は

仮りに本件事故が被告福村の過失によつて惹起されたとしても、被告沢田産業は、被告福村の選任及び監督について相当の注意をなしていたのであるから、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務がない。

と陳述し、被告両名は、

仮りに、被告等に損害賠償義務があるとしても前記のとおり被害者に重大な過失があるのであるから損害額の算定について右過失を斟酌すべきである。

と陳述した。

(立証)≪省略≫

理由

一、請求原因第一項(本件事故の発生)及び第二項(本件事故が被告沢田産業のための加害車の運行によつて生じたこと、被告両名間の雇傭関係)は当事者間に争がない。

二、(被告沢田産業の責任)

被告沢田産業は、自賠法第三条但書に規定される免責要件の総てに亘る主張立証をしないし、本件事故が加害車の運転者たる被告福村の運行上の過失によつて惹起されたものであることは後記認定のとおりであるからいづれの点からしても、被告沢田産業は、加害車の運行者として同条本文の規定にもとづき本件事故によつて生じた被害者正雄の生命侵害による損害を賠償すべき義務がある。

三、(被告福村の責任)

被告福村の過失の有無について判断するに、成立に争のない甲第一、二号証、同乙第二号証、被告福村了の本人尋問の結果を総合すれば、

(一)  被告福村は、本件事故当日、加害車を運転して栃木県宇都宮市所在の被告沢田産業の顧客先に商品を配達しての帰途同日午後一〇時三〇分頃、時速約五〇粁の速度で浅草西新井線道路の東京都荒川区南千住町八丁目三番地先通称天王前交叉点(別紙見取図記載の三叉路)に差し蒐つたが、同交叉点には自動信号機が設置されてあつて進向方向の信号機が「進め」の信号であつたのでそのままの速度で同交叉点に入つたところ、別紙見取図記載(一)の地点において、折柄左側方の錦町南千住線道路に停止中の浅草方面から北千住方面に向う自転車二、三台が、その進行方向の信号機が「止れ」の信号から「進め」の信号にかわるのを待ちきれずに発進し、同交叉点に入つて来たのを認めて危険を感じ右地点より約一〇米進行した別紙見取図記載(二)の地点において急遽把手を切つて進路を右に変えたこと。

(二)  ところが、そのときはじめて右斜前方約六、七五米の右見取図記載(イ)の地点に横断歩道を西側から東側に向つて歩行中の被害者正雄を認めたが、急制動の措置を講じるいとまもなく右地点から東方約一、一米右見取図記載×の地点において加害車の左前照燈附近を被害者に衝突させ、同人を約一五、八米前方の右見取図記載の(ロ)の地点まで跳ねとばし、ほぼ、原告が主張するような状態で加害車を停止させたこと。

が認められ、他に右認定に反する証拠はない。

自動車運転者が自動車を運転するに際して制限速度を厳守するとともに、常に前方注視義務を尽さなければならないことは多言を要しないところであるが、自動信号機の設置されてある交叉点を信号機の「進め」の信号に従つて進行する場合と雖も、何等右注意義務に消長をきたすものではなく、前方を充分注視し不測の事態に対しても応変の措置をとることができるよう万全の注意を払い事故の発生を未然に防止すべき義務があるものといわねばならない。しかるに、前認定の事実によれば、被告福村が加害車を運転し本件交叉点を直進するに際し右注意義務を怠り、左側方の錦町南千住線道路から同交叉点に進出して来る自転車との衝突の危険のみに注意を奪われて前方の横断歩道を歩行中の被害者正雄に気付かず漫然前記高速度のまま進行した(僅かに進路を右に変えたとはいえ被害者と関係がない)過失によつて、加害車の左前照燈附近を同人に衝突させ、本件事故を惹起させたものであることが明らかである。尤も、前認定の事実から推断すれば、当時歩行者専用信号機が「止まれ」の信号であつたにも拘らず被害者が右信号の表示を無視して横断歩道を横断したことが認められるが、右信号無視の過失は、損害賠償額の算定に当つて過失相殺として斟酌されるにとどまり、被告福村が前記注意義務を免れ得る事由となるものではない。従つて、右被告は直接の加害者として本件事故による損害賠償義務がある。

四、よつて、損害(慰藉料)の点について検討する。

被害者正雄と原告間の身分関係については当事者間に争がなく、成立に争のない甲第三号証の一、二、証人菅原喜好の証言及び原告本人尋問の結果を総合すれば、

(一) 被害者正雄が昭和一五年頃訴外高田きよと結婚し、翌一六年一月二七日原告が両名の子として出生したこと。

(二) ところが、右正雄が昭和二三年頃右きよと離別し、以来単身で東京都台東区浅草山谷町所在の簡易旅館等を転々としながら日雇労務者として生活し、原告は、きよに引き取られ、同女が昭和二五年頃訴外錦貫彦太郎と再婚した後は両名に養育され成長を遂げ、昭和三一年三月富岡中学校を卒業し上京就職したこと。

(三) 原告が成長するに従い実父を慕う感情を強く抱くようになり昭和三四年頃から正雄の消息を求めて調べた末に、叔父喜好の配慮によつて昭和三五年三月頃、正雄と邂り合うことができたこと。

(四) 原告は、当初の頃こそ、きよ及び彦太郎に対する思惑等もあつてこだわりの気持を抱いていたが数回正雄を訪れ、意思を疏通させる間にこだわりも消失し、親子の絆に強く結ばれて生活する日を待ち望むようになり、きよに対しても此の間の事情を打ち明けていたこと、

(五) しかるに、正雄が突然行方不明となつたのでその消息をたづね、昭和三七年六月頃に至つて、はじめて本件事故による正雄の死亡を知つたこと。

(六)  その他、原告が主張する慰藉料額算定について考慮すべき事情(被害者及び原告の年令、職業、経歴、境遇、生活状況等)。

を認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。

右認定の事実によれば、前記事情のもとに成長し、上京就職後消息を求めて漸く父正雄と邂り合うことができ、親子の絆に結ばれて生活する日もさして遠くないと思われていたにも拘らず、本件事故によつて突然父を喪うに至つた原告の心情はまことに不愍というの外なく、原告が正雄の死亡によつて甚大な精神的苦痛を受けたことは容易に推測できるところであるから諸般の事情を斟酌して、その慰藉料の額は、原告が本件において請求する金一〇〇万円を以て相当と認める。

五、被告等の過失相殺の主張について判断するに、前示のとおり被害者正雄に信号を無視して横断歩道を横断した過失があつたものと認められるから、被害者においても本件事故の発生について責任の一半を免れ得ないものといわねばならず、被告等の過失相殺の主張は理由があるものといえる。従つて、原告が受けた損害中被告等が原告に対し賠償すべき額は、右過失を斟酌して減額し、金八〇万円を以て相当と認める。

六、ところで、原告が自動車損害賠償保険金二七万六、二四三円の支払を受けたことは、原告の自陳するところであるから、これを右金八〇万円から控除すべきであり、そうすると、被告等が原告に対し賠償すべき慰藉料額は、金五二万三、七五七円となることが明らかである。

七、よつて、原告の請求は被告等に対し右金員及びこれに対する本件事故発生以後である昭和三七年七月一日から支払済に至るまでの民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条本文、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項の規定を各適用して、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第二七部

裁判長裁判官 小 川 善 吉

裁判官 高 瀬 秀 雄

裁判官羽石大は転任につき、署名捺印することができない。

裁判長裁判官 小 川 善 吉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例